2017年1月29日日曜日

コイファー&チェメロ『現象学入門』

しばらく前からこの本の翻訳に取り掛かっている。


面白い本だ。現象学の入門書としてはかなり思い切った構成になっている。上記リンクをたどるとアマゾンで「なか見検索」ができるので目次を見てみるといい。

フッサール、ハイデガー、メルロ=ポンティ、サルトルの主要な仕事にそれぞれ1章ずつ割かれているが、それ以外の章立てが興味深い。1章「カントとヴント」、4章「ゲシュタルト心理学」、7章「ギブソンと生態学的心理学」、終章は「現象学的認知科学(phenomenological cognitive science)」である。

彼らは、フッサール以来の現象学の中心的なテーマが、近年の「身体性認知科学 embodied cognitive sceince」に最も強く受け継がれていると見ており、この歴史的なパースペクティヴに沿って上記の各章を配置しているのである。なお、終章の手前の8章はH・ドレイファスの人工知能批判に割かれている。

私のように、メルロ=ポンティの現象学的身体論を足場にして、それを経験科学的な研究とつなげることを模索してきた研究者からすると、まさに「待ってました!」という内容。こんな入門書を手にできるようになったと思うと、時代の変化を感じて感慨深い。

なお、2011年に邦訳されたギャラガーとザハヴィの『現象学的な心』(原著は2008年刊)も、方向性としては近い立ち位置にある。副題が「心の哲学と認知科学入門」であり、認知科学や神経科学の知見を大幅に取り入れた現象学の書になっている。ただ、「入門」と銘打ってはいても実際には入門書レベルの叙述になっておらず(邦訳はよくできていると思うが)、現象学や認知科学の予備知識のない読者にとって読み通すのはなかなか難しい。本書はその点でかなり読み易いものになっている。

それだけではない。方向性も『現象学的な心』とは違っている。認知科学の知見を現象学に取り入れるという方向性ではなく、現象学の知見を認知科学に取り入れ、未来の認知科学を書き換えることが目指されている。だから終章が「現象学的認知科学」と題されているのである。

こんな現象学入門書は、今まで見たことがない。早く出版にこぎつけたいものだ…が、なかなか思った通りにはかどらなくて気が重い(笑