2017年11月20日月曜日

PPP研究会でお話しします

いろいろと慌ただしくしているあいだにお知らせを忘れてました。
 
もう今週末ですが、26日(日)14時から、東大精神科の榊原英輔さんが中心になって開催されているPPP研究会でお話します。PPPは、Philosophy of Psychiatry and Psychologyの略です。精神医学と心理学について、その哲学的基盤に関係する深い議論をされている研究会です。
 
榊原さんのホームページはこちら。
Acrographia
http://www.acrographia.net/
 
いちおうクローズドな研究会だったと思いますので、参加には問い合わせが必要です。このブログを読んでくださっているくらい意識高い系?の方はまず問題なく参加していただけると思いますが…。開催場所は東大の駒場キャンパスですが、詳しく知りたいかたはお問合せください。
 
田中は帰国してから新しいことを勉強する時間を取れずにいるので、26日は以前ドイツ滞在時に話した離人症のことを中心にお話しします。以下、研究会で流してもらった抄録をここにも貼り付けておきます。
 


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「離人・現実感喪失における自己と身体」
田中彰吾(東海大学現代教養センター)

環境に向かって行為する、環境のなかの対象を知覚する、といった日常的な場面では、自己と不可分のものとして身体が経験される。身体は、自己がそれを通じて行為する媒体、あるいは、そこから知覚が生じる媒体として、暗黙に経験されている。ところが、離人・現実感喪失(Depersonalization/derealization disorder)として知られる病理的な状態では、自己が身体から遊離しているように感じられたり、「身体とともに行為する自己」と「それを観察する自己」とが分離して感じられたりする。たとえばある当事者は「私は、自分が空間中に浮遊する鈍くぼんやりした思考であるように感じ、自分に体があるということさえ時に奇妙に感じられた」(Bradshaw, 2016)と述べている。この経験は、デカルトの心身二元論のように、身体がなくても自己が自己でありうることを示唆しているように思われるが、理論的にはどのように考えることができるだろうか。この講演では、離人・現実感喪失において生じる自己と身体の分離の経験について、(1) 当事者の手記を参考にして経験の具体的な様相をとらえつつ、(2)シエラ(2009)が記述した離人症における身体経験の異常と照合しながら考察する。理論的な課題は、「最小の自己(minimal self)」が身体から分離した状態で成立しうるかどうか、検討することにある。ギャラガー(2000, 2012)によると、最小の自己は所有感(sense of ownership)と主体感(sense of agency)によって構成されるが、離人・現実感障害においては、所有感と主体感はともに日常的な状態から大きく逸脱している。はたしてこの点は、最小の自己が身体から分離した状態で成立しうることを意味するのだろうか。参考として、実験によって引き起こされる「フルボディ錯覚」と呼ばれる錯覚の経験と比較しながら、考察を進める。

2017年11月7日火曜日

読書会を開きます

アマゾンでは1ヶ月前ぐらいからページができていたのですが、もうすぐ、神経科学〜身体性認知〜現象学にまたがる学際領域で非常に重要な本が出版されます。トーマス・フックスによる『Ecology of the Brain(脳のエコロジー)』です。
 
 
アマゾンでは発売日が12月14日ということになっています。田中は一足お先にゲラを拝見しました。出発点になっているのは、人が知覚している世界を脳内の表象に還元する見方への批判です。身体を含む有機体全体の一部とし脳を位置づけると、身体と環境の相互作用、自己の身体と他者の身体の相互作用、人々が共有する文化的世界へのアクセスなど、脳は、生命体としての人と世界とを「媒介する器官(mediating organ)」として理解し直す必要がある、という主張が基調のようです。このような見方が、どの程度、現在の神経科学の個別の知見と整合的に、あるいはそれへの説得力のある批判とともに語られているのかが、本文の評価にかかわるポイントになりそうです。
 
いずれにしても重要な本なので、12月から月1回1章ずつぐらいのペースで、オンライン読書会を開いて読むつもりでいます。参加をご希望される方は、田中までお問い合わせください。