田中彰吾の心理学&哲学研究室
こんにちは、田中彰吾(東海大学文明研究所所長・文化社会学部教授)です。身体性に関連する心理学と哲学を研究しています。各種お仕事のご連絡はshg.tanaka@gmail.comまでお寄せください。
2024年3月15日金曜日
オンライン講座「自己の科学」(4/21)
2024年3月7日木曜日
一周忌
突然二人の仕事仲間を失ってほぼ一年になります。
一人は鈴木宏昭先生。認知科学会の会長も務められた先生でした。私は「プロジェクション・サイエンス」のシンポジウムで2017年にご一緒して以来、晩年の先生とはご一緒する機会が本当に多くありました。訃報が飛び込んできたのも、認知科学会でオーガナイズド・セッションを二人で企画してそれが採択された直後でした。あまりに突然だったので、以来いまだに先生がこの世を去られた実感がわかずにいます。もしかして先生もご自身が亡くなったことを実感していないのでは、などと思うことがときどきあります。
もう一人は、東海大の同僚だった元田州彦先生です。かつて東海大に総合教育センターという部署があった頃からの付き合いでした。昨年度、10年ぶりに一緒に演習科目を担当して、学生と一緒に毎週にぎやかな議論を重ねたところでした。2023年度まで勤めると定年退職される予定だったので、第二の人生の予定を折々にたくさん聴いていました。大学の管理職から離れて好きな研究に打ち込めることを心待ちにされていて、南方熊楠の足跡を熊野に訪ねることを楽しみにされていました。
付き合いの深い方が亡くなられると、日々のふとした瞬間にその方の存在感が私の生活世界の片隅に顔を出します。鈴木先生と議論を重ねた青山学院のとある会議室にいくと今でも鈴木先生が扉の向こうから顔を出しそうな気がすることがあります。元田先生の研究室から引き取ったゴッフマンやブルデューの著作を見ていると、いかにも彼がそこに立っていて本を開きながらこちらに向かって「この箇所どう思う?」と議論をしたがっていそうな面影が浮かんできます。
こういう経験は、いわば幻肢のようなものかもしれません。ひとは四肢の一部を突然失うと、その部位のありありとした実在感を失った後も感じます。腕がなくなってもコップに向かって腕が伸びる感じがしたり、ないはずの脚で立ちあがろうとしたり、といった「身体が覚えている」経験が起こります。亡くした腕や脚で行っていた行為が、環境の知覚とともに蘇り、幻肢の感覚を生むのです。
共に生きた他者の記憶も、亡くなった身体の一部と同じで、私にとっては「身体が覚えている」経験になっています。その人とよく交わした会話や議論は、繰り返された相互行為として私の身体の奥底に堆積され、環境の知覚とともに蘇り、「その人の存在感」をありありと感じさせます。
鈴木先生も元田先生ももうこの世界にはいません。そんなことは百も承知です。ですが、他者の記憶は、たんなるエピソードではなく、彼らとの対話=相互作用=相互行為の記憶として私の身体に刻み込まれています。そして、その相互行為が埋め込まれていた環境を知覚すると、相手の存在感としてその場に戻ってくることがあります。
私は墓参りという行為をあまりしないのですが、それは、墓の前に立っても相手の記憶と存在に出会い直すことができないからです(会ったことがない歴史上の人物は別ですが)。むしろ、相手と繰り返した相互作用が埋め込まれた場所や場面に不意に出くわすとき、相手の存在が一瞬この世界に姿を現わします。それを感じる瞬間、ひとがお墓の前で手を合わせるように、思わず心で合掌せずにはいられません。
ここに記して哀悼の意を表します。
2024年3月2日土曜日
チャーチル&フィッシャー゠スミス「実存現象学的研究」邦訳
本日、第4回人間科学研究会を開催しました。ご講演いただいた奥井先生、植田先生お二人のお話の中で紹介されていたスコット・チャーチル氏の論文ですが、以下に邦訳を掲載しておきました。リンクから全文を参照いただけますのでご利用ください。
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スコット・D・チャーチル,エイミー・M・フィッシャー゠スミス著
(監訳:田中彰吾,訳:村井尚子・植田嘉好子・奥井遼)
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もともとは理論心理学のアンソロジーに掲載された論文ですが、フッサール現象学だけでなく一方でディルタイの精神科学まで遡りつつ、他方でサルトルの現象学を心理学として応用するという、なかなか重厚な内容になっていると思います。ですが、いちど方法論としての核心を掴んでいただければ心理学に限らずまさに「人間科学」全般への応用が可能なものになっていることがご理解いただけるかと思います。
現象学と質的研究について、より方法論的な理解を深めたい方はぜひご一読いただければ幸いです。
2024年2月23日金曜日
対話空間のオラリティ (3/9 オンライン)
2024年2月17日土曜日
自己であることと科学すること
第4回人間科学研究会 (3/2 オンライン)
IHSRC日本開催に連動して2019年から年1回のペースで開催してきた「人間科学研究会」ですが、このたび以下の日程で第4回研究会を開催することになりました。今回は、教育学分野から奥井遼先生(同志社大学)、社会福祉学分野から植田嘉好子先生(川崎医療福祉大学)にご講演いただきます。現象学と質的研究にご関心のある皆様、どうぞ奮ってご参加ください。
第4回人間科学研究会
日時:2024年3月2日(土)14:00〜17:15,オンライン
Zoom開催(参加希望の方は事務局の田中までお問い合わせください)
14:00〜15:30 講演1
「エキスパートの生きられた経験 ――糸操り現代人形劇の現場から」奥井遼(同志社大学)
要旨:本発表では、現代人形劇を事例として、「わざ」を身につけた人における生きられた経験を記述する。発表者はこれまで京都の小さな人形劇団において、稽古や公演の場に居合わせながら参与観察を重ねてきた。その中で、稽古をするたびに舞台運びがスムーズになっていく様子や、限られた舞台装置の中で表現スタイルを模索する姿などを目の当たりにして、わざを習得することに伴う知覚の変容や、優れたわざを身につけた人ならではのものの見方を知るに至った。それは必ずしもわざの獲得や上達という単線的で量的な拡張を意味するものではない。むしろ葛藤や矛盾も含めたダイナミックな経験の質の変化にほかならない。これらも含め、本発表ではわざを遂行している人たちについての「〈生きられた〉空間や時間や世界」の「報告書」を記すことを目指す。
15:45〜17:15 講演2
「“明けない夜はない”―救急医療ソーシャルワーカーの専門性確立への途(みち)」植田嘉好子(川崎医療福祉大学)
要旨:救急医療の現場では予告なしに生命の危機状態にある患者が運び込まれ,同時に,虐待や自殺,貧困,身寄りなし、オーバーステイ、ごみ屋敷等の社会的課題も顕在化する.今回取り上げるのはこれらに対応する救急認定ソーシャルワーカー(ESW:Emergency Social Worker)の認識である。病院内外でのさまざまな対立(医療職、患者、家族、行政、地域の他機関、制度政策)をどのように乗り越え、専門職としての地位を確立してきたのか。またそれは何を目指したものであったのか。時間の猶予がほとんどない中で行っているESWの洞察や推理,判断,根拠の確かめ,逡巡や葛藤,挑戦などの実践経験の意味を、熟練ESWらへのインタビューから現象学的に明らかにしていく。
2024年1月27日土曜日
Web連載 (新曜社クラルス)
2024年1月6日土曜日
シンポジウム (1/20 お茶の水女子大学)
2023年11月28日火曜日
お知らせ (2/2) 書籍の出版(『自己の科学は可能か』)
以下、お知らせ2件目です。こちらは新刊の情報です。
このブログでもときどき言及していますが、だいぶ前から「自他表象研究会」という場所で若手の実験心理学、認知神経科学の研究者たちと議論を続けています。その研究会の成果がようやく一冊の書物にまとまりました。
田中彰吾(編著),今泉修・金山範明・浅井智久・弘光健太郎(著)『自己の科学は可能か--心身脳問題として考える』新曜社,二〇二四年
全編そうではありますが、第Ⅱ部のディスカッションはとりわけこの本でないと読めない内容をふんだんに含んでいます。自己を科学的に理解する試みの難しさと面白さが研究者の本音とともににじみ出る内容になっています。
年末または年明けに配本される予定です。お楽しみに〜